『Six Stories』冒頭部試訳その1

スカークロウ山 二〇一七年

 

 森の、そのあたりは見覚えがあった。楽しかった思い出の燃えさしに次々と火がつき、充実感に包まれる。ここに来れば来るほど懐かしさがよみがえる。樹々は、当時と変わらない、やつれた顔でこっちを見下ろしている。

 この森とはじめて出会ったときは、畏怖の念に打たれた。そこに広がるのは人知を超えたカオス――圧倒的な無秩序だった。これを正す術【すべ】などない。森は、闇のように覆い被さってくる。不吉な声で鳴く鳥が、樹々の枝いっぱいにとまっている。歩みを進めると、シダの葉が脛にあたる。

 最初は、ここにブルドーザーを入れて均【なら】すことも考えた。父がウッドランズ・センターを取り壊して更地にしたように。だが、そうしなくてよかったと思う。不思議なことに、いまはここが美しく思えてきている。と同時に重苦しさも胸に広がっていく。美しい、などと思うべきではないのかもしれない。それは不謹慎だ。とはいえ、クモの巣の小さな網の目に引っかかっている雨の雫や、山肌に振りかけたように咲いているハリエニシダの花を見ていると、やはり美しいと思わずにはいられない。

 ここには、神秘の力が宿っている。

 歩きながら、わかってくることがあった。森は、ここに棲む生物にまったく無関心だということだ。そしてわたしたちと同じく、はるか向こうにそびえる山が落とす影のなかにうずくまっている。その山とは、うねるように積み重なった黒い岩でできた、頂上に雲を戴く岩山だ。

 スカークロウ山。ゲーム・オブ・スローンズに出てきそうな響きの名前。

 木と木のあいだが自然と広くあいているところで足をとめる。森を歩いて十分ほどたっていた。背後の建物はもうほとんど見えない。

 父は、かつてウッドランズ・センターがあったところに新しい建物が完成したとき、手放しで喜んだ。その建物の玄関ドアには真鍮のプレートがついていた。そこにどんな名前を入れるか、父とわたしは悩みに悩んだ。そうして決定したのが〝ハンティング・ロッジ〟だった。なんだか格好よすぎる気もしたが、とにかく父は以前そこで起きたことを一掃したがっていた。

 ハンティング・ロッジの本棚は安っぽい革表紙の本で埋められていた。観光客向けの本だが、読んだ者がいるかどうかは疑問だ。わたしは、最近それらを手にとってみた。どれも分厚く、背表紙は汚れていた。ページをめくると刻みタバコの匂いがふわりと広がっていく。まるで過去の亡霊が逃げていくかのように。

 過去の亡霊。わたしはまさしくそれを追いかけている。影を掻きまわしている。そして考える。

 自分は何者なのか、この騒ぎのなかで何の役割を演じているのか。わたし、ハリー・セント・クレメント=ラムゼイは死人を墓から掘り起こして生きかえらせようとするフランケンシュタイン博士なのか。

 インタビューを受けることを承知してよかったのだろうか。寝た子を起こすことになりはしないか。この二十年間スカークロウ山を包んでいた静寂を破ってしまうのではないだろうか。

 

男は仮面をつけていた。

 パーカーのフードの下から覗いているその白いプラスチックの仮面は、口以外の部分を覆っている。額の面はカーブしていて、まるで骸骨のようだ。

 滑稽に思うべきだろう。相手は、右翼系の団体が人種差別的なデモを行うときにつけるマスクみたいなものを被っているのだ。だが、わたしは笑えなかった。

 男がうちの屋敷のゲートの前に車をとめるのを、わたしたちは守衛小屋から見守っていた。男からのメールは全部プリントアウトしてある。彼は何か月ものあいだ、あらゆる誘い文句を用いてわたしを口説きおとすメールを送りつづけてきていた。わたしは、窓に黒いスモークが張られたごついSUVを想像していた。何せ彼はネット上でカリスマと呼ばれている有名人なのだ。

 だから、ボンネットに虫の死骸が張りついたコンパクト・カーでやってきたのを見て驚いた。彼を出迎えるために守衛小屋から出た。小屋に残っているトゥモから電話がきたので、通話にしたまま携帯電話ポケットに入れる。トゥモも電話をスピーカーにしているはずだ。打ちあわせどおりに。合言葉は、〝野菜の直売所には寄りましたか?〟だ。独創的なセリフではないが、わたしがそう言ったらトゥモたちが一分とかからず駆けつけてくることになっている。

 男が車から降りてくるのを待ちながら考える。乗り切ることができるだろうか。もし仲間が近くで見守ってくれなかったらどうなっていただろう。わたしは一目散に逃げだしていたかもしれない。

 男は仮面をつけていることを前もって知らせてきていた。わたしはネット検索をして男に関することを色々と読み、仮面をつける理由をある程度理解していた。それでも彼が車から降りたとき、その不気味さに思わず〝近寄るな〟と言いそうになった。すぐさま踵をかえし、ゲートを閉めたい衝動に駆られた。だが、男が仮面をつけているのは匿名性を確保するためだ。

 彼にとってはそれが重要なのだ。

 そうとわかっていても、やはり不気味だった。しかし顔には出さないようにした。ジャスティンはショットガンを持って待機している。弾が装填されているかどうかはわからないが。トゥモは買ったばかりのナイフを持っている。ふたりはわたしを守るために来ていた。いや、わたしというより二十年前のあのことを守るため、と言ったほうがいいかもしれない。あのときのわたしたちの記憶を。あのとき見たものを。

 男がこっちに向かってきた。自分はいつのまにか知らない人間になり、勝手に男に近づいて握手をしていた。その知らない人間は怯えた様子をいっさい表に出していない。挨拶をする声には、朗らかささえ含まれているような気がした。

 男はその仮面の下でわたしに嫌悪感を抱き、しかめ面をしているかもしれない。こっちには永遠に知る由もないが。

 男は感謝の言葉を述べ、わたしの車に乗りこんだ。そこでわたしは襟にマイクをつけられた。レコーダーのスイッチがオンになる。

 そうしてインタビューがはじまった。(つづく)