『Six Stories』冒頭部試訳 その2

 森のなかの開けた場所で足をとめ、水筒から紅茶をカップに注ぐ。どこもかしこも湿っているのですわりたくはない。詩人みたいなことを言うようだが、ひとはときに立ちどまり、静寂に耳を傾けたくなることがある。わたしもここに来ると、樹の下に立って静けさに耳を澄ますようになっていた。もっとも、はじめのころは片耳にイヤホンをつけていたが。

 実際、森に静寂はない。耳を澄ますとさまざまな音が聞こえてくる。葉のさらさらとしたおしゃべりの声は、雨が降ればべらべらとまくしたてる騒々しい声になる。行ったり来たりしながら怒ったように鳴く朝の鳥の声のやかましさはもはや喜劇だ。

 わたしは、夜は森に入らない。もう長いあいだ、そうしていた。

 最後に暗い森に足を踏みいれたのは、二十年ほど前だった。あのときは、トゥモとジャスティンがいっしょだった。あの夜、あの少年を見つけたのだ。樹々がまばらになり、山頂に向かって地面は上り坂になり、土が泥に変わりはじめたあの場所で。

 暗闇は好きにはなれない。闇が訪れると、あの光景が頭のなかでループする。

 二十年近くたっても、あそこで見つけたものは記憶から消えることがない。

 仮面の男はその気持ちがわかると言った。ある種の記憶は亡霊のようにいつまでもまとわりつくものなのだと。まさに、わたしと父はまとわりつかれていた。男は、それについて話してくれれば、何か助けになれるかもしれない、と言った。

 助け。

 それはわたしたちのような人間がもっとも期待していない言葉だ。セント・クレメント=ラムゼイ家の者が助けを必要としていると誰が思う? もちろん助けなど必要ない。わたしたちには富がある。裕福な人間が助けを必要とすることはない。

 二十年前、わたしとトゥモとジャスティンがスカークロウ山を訪れたとき、ウッドランズ・センターはまだ存在していた。山と、ふもとに建つウッドランズ・センターと、周辺の森の所有者が父に代わったばかりのころで、そのときはまだハンティング・ロッジを建てる構想すらなかった。わたしたちは、ウッドランズ・センターに泊まることにした。トイレもシャワーも機能しているということだったので、宿泊にまったく問題ないと思っていた。

 ウッドランズ・センターは合板とリノリウムでできた、いかにも七十年代っぽい建物だった。なかに入ると、下水と脱ぎたてのジャージの臭いがした。厨房にはベジーソーセージやフライドエッグの臭いが染みついていた。入り口周辺の床はブーツの足跡で泥だらけになっている。部屋の隅に置いてある折りたたみ椅子や塗装が施された金属のラジエーターにはクモの巣が張っている。ボーイ・スカウトなどの団体がここを使用していたのだろう。奥の壁には〝思い出といっしょにゴミも持ちかえりましょう〟と書かれた紙が貼ってあり、その下にクレープ・ペーパーでつくったクマの顔が飾ってある。片方の目は取れていて、黒のボールペンで描き加えられていた。

 正直なところ、わたしたちは退屈していた。二十一歳かそこらで、大雨のせいで外に出ることもできず、午後じゅうビールを飲みながらモノポリーをしていた。酔いがまわると、たがいに当たり散らしはじめた。腹が空いていたが、誰も飯をつくる気はない。だがポテトチップスだけで腹は膨らまない。愚かな都会っ子たちは、この辺にテイクアウトの店がないなんて思いもしなかったのだ。しかも全員酒を飲んでいたので、誰かが車で売店を探しに行くこともできない。ジャスティンはヴィンテージのウィスキーを引っぱりだしてきた。気を失うまで飲もう、というわけだ。このままいけば九時には寝ついていることだろう。強風による樹々のざわめきなどものともせず、いびきをかきながら。

 そうして一日が終わっていればなんの問題もなかった。

 

 紅茶を飲みおえ、カップの底にたまった澱を茂みに捨てる。朝日が強さを増し、森じゅうに光が広がっていく。踏みかためられた小道ではなく、枝だらけの藪のほうに向かって歩みを進める。あのときもわたしたちはそこを歩いていた。あのときは酔っていたうえに地面はぬかるんでいたので、道がどこなのかわからなくなっていた。

 もういちど振りかえる。ハンティング・ロッジの窓明かりが見える。当時、あの少年の目にはウッドランズ・センターが映っていたのだろうか。一九九六年、あの少年はここを通ってセンターに戻ろうとしていた。枝のあいだから見える風景はいまとそう変わらないはずだ。センターの窓明かりはぬくもりを連想させ、安堵感を与えたにちがいない。

 森のなかを歩きつづける。地面が上り坂になりはじめたら要注意だ。いまは危険を知らせる看板が立っているが、以前はなかった。当時のセンターの利用者は危険を知らずに通っていたのだった。その坂道は自然にできたもので、ハンティング・ロッジ――すなわち当時のウッドランズ・センターから北西に向かって樹のあいだを縫うように数マイルのびている。わたしはその道に入った。

 進むにつれ、過去の引力に抗えなくなっていく。自分の一部が記憶の糸に絡めとられていく。

 そうして完全に吸収されてしまったような感覚に陥った。

 それはある意味、間違いではなかった。